副音声カウントダウン[23〜22]
23話と22話の分。
風呂上がり、って勝手に書いちゃったけど、果たしてそうだったのかどうなのか。
* * *
こないだ、金曜ロードショーでジブリの「かぐや姫の物語」をやってましたね。
私はDVDを持ってるので、この日は見ていなかったのですが、「ものすごくびしょびしょに泣きたい気分」のときは、この映画を見ます。
この映画を見るとなぜか、いつも、原因不明の泣き方をしてしまうのです。
例えば、直前まで「あのツナ缶、また注文しておこうかなあ」なんてことを考えていても、かぐや姫が月からのサンバカーニバルに呼ばれて帰っていく場面が始まると、涙腺が唐突に大決壊して、とんでもない泣き方をします。
本当に原因がわかりません。
「かぐや姫の物語」は、“女性が現代でも変わらず背負わされている生きづらさ”の面から評価する声が多いと感じますし、それはそれで素晴らしいことではあるのですが、私はこの映画はそれも含めて、もっと、この世の理(ことわり)の本質と言いますか、
晩年になって、もうすぐあちらの世界に帰る、その時が近づいた高畑勲監督が、「生命が地球に来た理由、その喜びと、苦しさ」を書き残していった、
そういう映画なんだ、っていう、そんな見方をしている気がします。
しかし、今回の放送後、Xの中を流れていった数多の感想の中に
「月に帰る場面の音楽の安っぽさに初見時には違和感があったが、今回、改めて見てその理由がわかって云々」
というものがありまして、しかもそのツイートが結構な賛同を集めていたようで、私はそれを見た時に、
「ちょ、は、はあああ〜〜〜〜〜!!!???あ、ああああああれを、安っぽいと!!!言う人間が!!!いると!!!ちょ、信じらっっっっれな、ぶっほげっっほ!!!」
と、ひっくり返ってしまったのでした。
いえ、人様の感想をどうこう言う気はありませんし、その方は別に、ディスりたくて安っぽい、と書いていらっしゃるわけではないらしい(「苦楽がない世界故の軽快さの表現だと理解した」と仰りたいらしい)けど、私は当時、映画館で見て、あの場面が来た時に、
「……『高畑勲×久石譲』というタッグは、こんな恐ろしいものを生み出してしまうのか……!!!???
大変だ、私は世紀の芸術、いや、それでは言い足りない、そう、『今生とあの世の架け橋が顕現する場』に立ち会ってしまったのだ……!」
と度肝を抜かれたし、あれは当時も「みんなのトラウマ」と呼ばれたくらいの場面だし、それを安っぽいの一言でまとめるとはどういうことだ、まあでも、もういい、とにもかくにも、
「世の中、感性が全く響き合わない人はいるよね、うんわかった!!!」
と締めることにしたのでした。
まあ、誰しも魂の相性はあるわけなので。
大芸術家とされる人の絵だって、「その人の魂の表現」と考えれば、合う合わないが出てくるのは当然なわけだし。
私だって「これ、そんなに好きじゃないなあ」って思う名画もありますし、だからと言ってそれが「よくない作品」とは当然、みじんこも思ってませんし。
伊藤若冲だって大人気だけど、ある超重鎮の画家先生とお話しした時、その方は「僕はあんまり若冲の良さが分からなくてね。蕪村の方がいい」みたいなことをおっしゃっていましたし。
だからもう、感性が掠らない、それはもう、そういうもん! と思いました。
でも、やっぱり、
あれは、「安っぽい」音楽でも、薄っぺらい音楽でも、
ない!!!!!から!!!!!
(納得してない)
……美術館好きな野崎さんのお気に入りの画家は誰ですか。
よかったら今度、教えてください。

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